原書のCircle of Concernは「関心の輪」と訳されています。ただ、関心という言葉からはややポジティブな印象になりますが、実際には違います。英語のconcernはどちらかといえば、心配事、もともとは気にかかるとい意味ですから、ポジティブ・ネガティブというよりは、受動的ないしは能動的みたいな感覚です。
一方、興味・関心という日本語では、非常に能動的な分野と取られてしまいます。しかし、英語のニュアンスでいくと、もう少し受動的な感じの気にかかっていること、気がかりなことということになります。自分が能動的ではなくて、向こうからやってくる気がかりなことに、あまり気をとられるなということです。
影響の輪、関心の輪は、一人ひとりの中に存在するので、自分たちの興味・関心があるという点に関心の輪を限定せずに、何かを感知しているもの、何らかの気がかりがあるものとかに広げた方がいい。非常に強い興味がなかったとしても、何か気にかかるような事柄が関心の輪の中に入ってくると捉えたらいいと思います。
日本語の自責、あるいは他責という言葉を使うことがありますが、これは影響の輪、関心の輪にぴったり当てはまります。それは、自分自身の影響の範囲の外の事柄について考えている方は、例えば何か結果を出すことができなかったとしても、それは状況が悪いとか、周りが悪いとか、誰かが悪いというような、そんな感覚に陥ってしまう。つまり完全に他責の状態になってしまいます。
しかし、同じような状況で結果を出すことができなかったとしても、影響の輪の中に集中しておられる方は、それは自分の問題として考えておられます。ものの見方を変えてみようとか、自分が取り組める状況を整理してみようとか、ベクトルがあくまで自分に向いているということを考えているわけです。影響の輪の中に集中している方は、完全に自分で責任を取ることができるという態度で臨んでいる。つまり自責の方だという風にとることができます。
影響の輪の中に集中するということを誤解されて、自分ができることだけをやればいいと理解される方がおられるようです。しかし、自分のできることだけをやれば、影響の輪が大きくなるというよりは、小さくまとまってしまいます。その辺りのところは、この影響の輪の中に集中することが主体的であるという事柄に対する誤解がある部分ですので、少しクリアーにさせていただきたいと思います。
まず、コヴィー博士が、別の書籍の中で指摘されておられるのが、影響の輪の中のぎりぎり外の部分、そこに働きかける大切さです。例えば自分が仕事の中で何かを任されて、言われたことだけをやっていくと、影響の輪の中の事柄だけになります。しかし、言われている以上の+αでやっていこうとなった時には、もしかしたら影響の輪を少し飛び出るのかもしれません。
でもそのように、自分自身の影響の輪を拡大して、影響の輪のぎりぎりのところ活動する時、もしかしたら余計なことをするなと言われるかもしれませんが、たいていの場合にはプラス一歩を進んでやったことは、非常に主体的であると評価をされます。そこまでできるのなら、次にはより以上の事柄を任されていきます。こうして、影響の輪が拡大されていきます。つまり、影響の輪のぎりぎり外の部分に働きかけていくことが、影響の輪を拡大させていく大切なポイントになります。
もう一つ大切なポイントは、影響の輪の外側の事柄を、どのようにして自分自身の影響の輪の中に転換して考えることができるのかという点です。例えばコヴィー博士は、他人は変えることができないと、はっきり言い切っておられます。他人を変えようと思った段階で、影響の輪の外になってしまうからです。しかし、同じプロジェクトに取り組んでいて、変えたいと思っている方もおられます。同じ課題に取り組んでいる時に、その人が自分の望む方向に動いてもらうようするために、自分の影響の輪の中で何ができるかを考えることは、誰かを変えようということではありません。
まず自分がどのようなアプローチをしたら自分が望む結果を得ることができるのかを考えることなのです。ですから相手に影響を与えることができるかどうかはわかりませんが、自分の影響の輪の中で捉えてみた時には、こんなことができるというように自分自身の発想を転換していくことはできます。周りの影響の輪の外にある事柄でも、自分の影響の輪の中で捉えた時にどんなことができるのか、こんなところを通して自分自身の影響力を拡大していくというポイントもあると思います。
常に自分がどこまで影響できるのかというような範囲を自分で明確にしながら、これはひとつチャレンジな部分ではあるけれど、そこをちょっと努力してみようということになるわけです。ですから、自分の影響の輪をきっちりときれいにすると考えない方がいいと思います。影響の輪は物理的なものではなく非常に象徴的なものですから、きっちり明確にラインを引けるものではないからです。
むしろ7つの習慣は元々リーダーシップのプログラムであり、自分自身がリーダーシップを発揮していこうという方々は、影響の輪の輪郭線をきっちりと引くというよりは、それを拡大していくためにどのように取り組んでいくことができるのと考えておられる方だと思うのです。ですから、自分自身の影響の輪を明確に定めるというより、それを拡大していくことができるよう、より貢献をしていくことができるようなリーダーシップを発揮することが大切です。つまり、どのようにして自分自身の影響の輪の中で捉えることができるのかと考えていくことが大切なのではないかと思います。
7つの習慣の基礎原則の中に、自己制限パラダイムがあります。まずは自分自身の影響の輪を、自分で制限しないことです。前述のいわゆる+αについて考えてみていただけたらいいでしょう。人から信頼を得る方法はいろいろありますが、一番大切な、そして一番影響力のある方法の一つが、コヴィー博士がよく指摘されている、いわゆる他人の期待以上の事柄を行うことです。それが+αであり、言われたままのことだけを自分自身の影響の輪ということで線を引くのではなく、そこに自分がどんな付加価値を追加していけるのかと考えることです。
これは習慣なので、常に実行していくことが必要です。そんなアウトプットを常に行いながら生産性を上げている人は、とても信頼をされると思います。また、同じことをお願いされたとしても、自分自身の影響の輪からちょっと出たり、それを拡大していくようなことでプラスアルファして自分の付加価値を付けていくところから始めたらいいと思います。
影響の輪に集中することがなぜ主体性を発揮するという事柄に入っているのか。本当に何かを変えていきたい、しかも原則に基づいて本質的にそこに影響を与えていきたいということであれば、主体的になって影響の輪の中に集中していことが必要になるからです。もう一つ大切なポイントは、自分自身の影響の輪を自分で限定せずに、そこからリーダーシップを発揮して、どうやって拡大して付加価値や貢献につないでいくのかを考えることが大切です。ここが第1の習慣にある「影響の輪、関心の輪」で、コヴィー博士が伝えていきたい一番のポイントです。
影響の輪の方が関心の輪よりも大きくなってしまい、影響を与えることができるにもかかわらず、関心を持たないという状況が出た場合、これは非常に悪いことだとコヴィー博士は言っておられます。7つの習慣の中では、影響の輪の中に何かがあるというのではなくて、まず関心の輪があって、それから影響の輪というのがその中に小さくあります。ただ、現実的に起こり得るのは、影響の輪の方が大きくなり、関心の輪の方が小さくなることです。
例えば、わかりやすい例としては、会社の経営者であれば、社員の福利や人事などは当然影響の輪の中に入っているにもかかわらず、そもそも関心がないということで何も手を付けないと、かなり大きな問題になってしまいます。そこで思いつくのは、マザーテレサの言葉です。彼女の有名な言葉で、「愛の反対は」というのをお聞きになった方もいらっしゃるかもしれません。「愛の反対は無関心である」とおっしゃっています。
私達が、事業やお客様、家族や周りの友人達でもいいのですが、何かに対して貢献するという事柄があるのであれば、そのものに対してよりよいものになっていこうという私達の思いであり、それはきっと私達の愛情です。前述した経営者の人事権や社員の福利なども、それは社員に対する思いや愛情ということです。それがないと、どれだけ立場が高く、影響の輪の中に入っている事柄が多くても、結局はそれを行使できないのです。ここは、人格に関わってきてしまう部分なのかもしれません。
私達が影響の輪を広げていくという事柄は原則レベルとしてありながらも、それ以前の問題としてもっと周りの自分以外の者に関心を持つこと、つまり思いを持つこと、愛情を持つことが前提になると思うのです。その上で、影響の輪の中にフォーカスをするということが、コヴィー博士が伝えたい大切なポイントだと思います。(談)