週刊「7つの週刊」日本元気化計画 元気には原則があった!
竹田恒泰:作家×西川りゅうじん:マーケティング・コンサルタント×竹村富士徳:フランクリン・コヴィー・ジャパン株式会社代表取締役副社長

正しい国史の認識を通じて日本人としての誇りの回復の必要性を説く竹田恒泰氏と、西川りゅうじん氏、そして弊社 代表取締役副社長 竹村富士徳の3人が、日本古来の価値観と7つの習慣が提唱する人格主義との共通項にスポットを当てながら、日本を元気にするためのヒントを探ります。

竹田恒泰(たけだ・つねやす)

作家。1975年 東京都生まれ。慶應義塾大学法学部卒業。旧皇族・竹田家に生まれ、明治天皇の玄孫に当たる。憲法学・史学の研究に従事、皇室、日本史、環境問題関連の執筆や発言を行っている。2006年に著書『語られなかった皇族たちの真実』(小学館)で山本七平賞を受賞。その他の著書に『エコマインド~環境の教科書』(ベストブック)、『皇室へのソボクなギモン』(扶桑社、共著)、『旧皇族が語る天皇の日本史』(PHP新書)などがある。財団法人ロングステイ財団専務理事、NPO法人あきらめない名誉会長、慶應義塾大学非常勤講師(憲法学)。竹の間―竹田恒泰のホームページ

西川りゅうじん(にしかわ・りゅうじん)

商業開発研究所レゾン所長。1960年 神戸市生まれ。一橋大学経済学部・法学部卒業。在学中に企画プロデュース事務所を起業。「ウォークマン」の販売促進、「ジュリアナ東京」のPR、「六本木ヒルズ」の商業開発、「愛・地球博」の"モリゾーとキッコロ"や「平城遷都1300年祭」の“せんとくん”の選定・広報、「つくばエクスプレス」沿線PR、焼酎の全国的な人気づくり、高知県「龍馬博」の総合プロデュースなど、長きにわたり、産業と地域の元気化に手腕を発揮。神社からいただく「神社エール」と「ある中」生活(歩き中心生活)で元気一杯。週に3日、GYMに通い、ランニング3キロ、自転車バイク5キロ、筋トレ、水泳1,200メートルをこなすアスリートでもある。西川りゅうじん プロフィール

●日本の建国精神=個々の人格の尊重

西川
竹田先生は、国内のホテルの部屋に聖書や仏典は置いてあるのに、なぜ古事記が置かれていないのか、と指摘されていますが、本当に不思議なことですよね。古事記や日本書紀は、日本の歴史、民族、あるいは文化の聖書のようなものなのに、その存在がすっかり忘れ去られているのは、どうしてなんでしょう。

『7つの習慣』も、よくビジネス・パーソンのバイブルといわれますが、ビジネス・パーソンのみならず、老若男女、国も世代も超えて、あらゆる人々に受け入れられているからこそ、そのように呼ばれているように思います。
竹田
『7つの習慣』は全世界で3,000万部、国内だけでも180万部(2013年12月)ですか、 そんなに出ているのは、今、西川さんもおっしゃったように、時間とか場所を問わず、普遍的なものだからだと思うんです。人間というのは、生まれや環境が違えば考え方も違ってくるのかもしれませんが、やっぱり普遍的で共通のものもある。イエス・キリストや仏陀も、そういう普遍的なことを教えているわけで、最終的には「幸せって何か」というところに行き着くように思います。
竹村
では、古来の文化風土を有する日本の場合、どのようなものが普遍的なコアの部分になっているのでしょうか。
竹田
1人ひとりの国民の人格を尊重していくというのが、本来の日本の国の成り立ち、建国の精神といっていいと思います。今の日本国憲法でいえば、第13条「個人の尊重」と書かれている部分がそれに該当します。こういうものを読むと、国民1人ひとりを幸せにしていくことが国の目的だということがよくわかりますよ。

仁徳天皇も「国民のために天皇がいる。国民が不幸になったら、天皇の責任だ」ということをおっしゃっている。これは古事記ではなく日本書紀のほうに収録されている言葉ですが、こうした発想は、もともと神武天皇の「どこに都を置いたら平和に国を治められるだろうか」という問いから始まっています。

統治というと、支配とか管理的なイメージがありますが、統治を古事記の言葉でいうと「シラス(知らす)」になります。これは、天皇が存在するだけで国が束ねられる、もう少し具体的にいうと、天皇は祈りを通じて国を治めている、という意味です。つまり、天皇とは一言でいうと「祈る存在」であり、そうやって国民1人ひとりの幸せを祈り続けて、2000年以上経っているということになります。

国を造ったのは神武天皇ですが、そのひいおじいさんにあたるニニギノミコトが地上に降りてくるとき、アマテラスオオミカミから「地上世界へシラセ」と命令されていて、そのアマテラスオオミカミもお父さんのイザナギノカミから「あなたは高天原をシラセ」という指令を受けています。

大日本帝国憲法の第1条も、最初の起草段階では、「大日本帝国ハ萬世一系ノ天皇コレヲシラスモノナリ」と書かれていたんですよ。でも、「シラス」という古い言葉ではわかりづらいということで、「統治」という言葉に置き換えられてしまったんです。なんで「知る」ことと「統治する」ことがつながるかというと、天皇が広く国の事情をお知りになるからです。事情がわからないと祈りようがない。元気にしているか、きちんとご飯を食べているか、国民の事情を国の隅々まで知っているからこそ、あの問題が早く回復したらいいとか、あそこに雨が降りますようにとか、祈れるわけで。天皇はわが子のように国民を愛し、その状態を知って祈り、その祈りを通じて国が束ねられていく。これが日本の統治なんです。

●7つの習慣は古事記とリンクしている?

西川
それは「スメラギ」という言葉とも関係していますか。
竹田
スメラギには「皇」の字が当てられていますが、スメラギスメラギコトというのは、国民の1人ひとりの存在を願い、祈る存在を指します。国家のために国民があり、国民は国王の私物であるというのは、前近代において世界中どこにでもあった考え方ですが、日本は太古の昔から、国民1人ひとりが、自由に、自分らしく、豊かに暮らせるにはどうしたらいいかということをずっと模索してきた国。個人個人が尊重され、自分らしく暮らせるというのが、2,000年前からの日本という国家のビジョンなんですよ。
竹村
なるほど、勉強になります。
西川
竹田先生のお話を伺っていると、竹村さんがいつもおっしゃっていることと、全部つながってくるような気がしますね。私自身、7つの習慣がなければ、とても生きてこられなかったと思うほどの影響を受けました。同じように、古事記や日本書紀に出会わなかったら、今の仕事を続けてこられなかったと思っているんです。

というのは、マーケティングとか、コンサルタントとかプロデューサーとか、そんな横文字の仕事をやっているうちに、途中でなんかあざといというか、なんでこんな人工的なことをやっているんだろうと思うようになったんです。新しすぎて、こんなものは日本の歴史や文化の中になかったんじゃないかと。

ところが古事記、日本書紀の中に、ヤゴコロオモイカネノカミという神様がいましてね、この人はアマテラスオオミカミが天の岩戸にお隠れになって世界が真っ暗になってしまったとき、アメノウズメノカミを踊らせて、その場にいた八百万の神々を爆笑させ、アマテラスオオミカミの気を引くことに成功した。つまり、古代のイベントプランナーでありプロデューサーなんですね。

古事記、日本書紀の中には、こういうありとあらゆる神様がいて、皆それぞれにさまざまな役割を担っている。『7つの習慣』を読んで「自分は何者なのか」ということをずっと考え続けていたところに、古事記、日本書紀を読んで、この部分に触れたとき、私自身、まさに自分の役割というものに気づかされ、自分の中で全部がつながった。ああ、いろいろなタイプの人がいていいんだな、日本というのはそういうものすべてを知っていただいている国なんだなと、本当に深いところから納得できたんです。私の勝手な解釈かもしれませんけれど(笑)。
竹田
『7つの習慣』を読んで、次に古事記を読むとバッチリということですね(笑)。

●日本人が本来持っている人格を取り戻そう

竹村
今度、『7つの習慣』を新訳で出版することになったのですが、現在の副題の「成功には原則があった!」というのは、実は日本側で勝手につけたものなんですね。オリジナルのサブタイトルは、英語版の表紙にも書かれていなくて、中のほうにちらっと書かれているので、皆さん、あまり気づかないんです。で、その副題を日本語に直訳すると、「人格主義の回復」。つまり、それが『7つの習慣』のテーマというわけです。
竹田
ということは、最初の「第一の習慣」にある「主体性を発揮する」というのが根っこになるんですね。
竹村
そうなんです。竹田先生は本文中に出てくるアメリカの格言を覚えていらっしゃるでしょうか。

「思いの種を蒔いて習慣を刈り取り、習慣の種を蒔いて人格を刈り取り、人格の種を蒔いて人生を刈り取る」

まず、人格の前に習慣がある。人格を磨くには、よりよい習慣を身につけましょう、と。それが、まさに7つの習慣なんですね。

どうしても、この習慣をやったら成功する、というような短絡的な捉え方をされがちなのですが、本当の価値は人格主義にこそある。そして、私たち日本人は、もともと日本人が持っているものを回復していけばいいのですよ、ということを今、どうしても伝えたかったのです。それが今回、新訳を出す上での一番大きな目的、テーマなんです。
竹田
それを伺うと、本を読む姿勢が変わりますね。中身を読めば、「私的成功」「公的成功」について語られていますし、決して金持ちになりたいとか、短絡的な成功のためのバイブルではないことがわかりますが、最初はどうしても「成功するための秘訣がここに書かれている」ってところで見ちゃいますから(笑)。

そういう意味では、入口というか、パッと目に入る装いの部分が変わることで、かなり読み手の姿勢が変わるでしょうね。特に、この人格主義というのは、あの震災を経験した今だからこそ、読み手に響くと思います。
竹村
私たち日本人がもともと持っていた人格、人としてどうあるべきなのかというスタンス、そこを大切にしていくというのが、「日本を元気にする」ための一番の押しどころのボタンなのかなと個人的には思っていまして。そこに7つの習慣が貢献させていただけることがあるはずだと考えています。

●日本から発信されるべきだった7つの習慣

西川
竹田先生は明治天皇の玄孫に当たられるわけですが、明治天皇、皇太后がおっしゃっていることにも、私は7つの習慣と通じるものがあるような気がしているんです。というのも、すごく仕事で悩んでいるとき、たまたま明治天皇の御製と皇太后の御歌を、拝見しましてね。

明治天皇の御製は「ならび行く 人にはよしや 後るとも 正しき道を ふみな違へそ」。自分が歩むのが遅れたとしても、正しい道を踏み違えないようにということですね。皇太后の御歌のほうは、「ひとすじの その糸口もたがふれば もつれもつれてとくよしぞなき」。糸も1つ間違えてしまうとぐちゃぐちゃにもつれてほどくこともできなくなってしまう。だから1つひとつ、コツコツとやっていかなければいけないという内容です。

両方とも不思議なくらい7つの習慣と同じことをおっしゃっていて、ああ、やっぱりそうなんだなと。それがわかって、私はものすごく救われたんです。大事なのは本質的なことであり、それは結局のところ全部同じものなんだと。
竹村
コヴィー博士は生前、「7つの習慣は、本当は西洋ではなく東洋から出るべきものだった」と私におっしゃったことがあるんです。それがある意味、すごく嬉しいのとすごく悔しいのと、私には両方の気持ちがありましてね。

こういう素晴らしい文化を持っている国の人間としては、それが今、まるで逆輸入されているような状況から、今後どうやって、主体的に発信していくかを考えるわけです。そこで必要になるものは何かというと、「徳」というものに行きつくのではないかと思うのです。

この、日本人だけが本質的に備えてきたと思える徳というもの。先進国の中でも、日本という国はユニークな立場にありますから、これから中国とかいわゆる第三国が同じように欧米化していった場合、果たして地球がどんな風になってしまうのか、とても不安になるんです。そうならないよう、新しい道しるべのようなものを指し示していくのが、徳を持った日本という国の役割なのかなと考えたり。そこにも、また7つの習慣というものが、1つの媒介として作用するんじゃないかなという気がしているんですが。
竹田
『7つの習慣』と出会った当時は全くそういう感覚はなかったんですが、ここ数年、『7つの習慣』って、日本人が大切にしてきた「和の精神」というものと深くつながっているんじゃないかなと思うようになりました。

日本人の幸福感というのは、自分がどうなるかということよりも、他者に何を与えられるかが優先される。だから、他者のために生きる、というのが美しい生き方とされてきて。それが封建的でつまらない考え方のように扱われていたところに、東日本大震災が起きて、目に見えないつながりを大切にする、日本人の絆というものが、再び見直されつつあるような気がしています。
竹村
あの大震災が私たちに与えた影響には測り知れないものがありますね。

●和の精神と7つの習慣の共通項

竹田
日本人の考え方というのは、社会全体、民族の発想そのものが、一歩下がって自分のことは後、なんですよね。他人のために何ができるか、それがすなわち自分の幸せであるという。

といっても、ただやみくもに他者を優先するわけではなく、さまざまな役割を認識しながら、自分は家族のために何ができるか、最後は国のために何ができるか。そういうことを含めて、いろいろな次元で1人ひとりが自分らしく振る舞ってきたに過ぎないのですが。そうしたものが日本の歴史であると捉えたとき、7つの習慣がこれだけ普遍的に求められ理解されているという事実と、けっこう通じるものがあるのかなと。
竹村
7つの習慣はもともとアメリカから来たものですから、文化的に、狩猟民族のインディペンデントな感じと、我々農耕民族の和を大切にする部分のギャップというのはあると思うんです。たとえば、7つの習慣でいうところの「私的成功」については欧米人のほうが得意でしょう。でも、日本人は「公的成功」みたいなところを本質的にすごく大切にしてきた民族ですよね。

しかし戦後は、核家族化、さらにインターネット時代が到来して、欧米主義のいい部分だけでなく悪い部分もそのまま取り込んでしまって、自分さえよければいい、というような価値観が広がっていたところに、リーマンショックや大震災が起きた。今、日本人の価値観も、まただんだんと変わりつつある時期ですよね。

そうした相反する文化や価値観もすべて含めて、パッケージングで教えてくれるのが7つの習慣なのかなと。最終的にコヴィー博士が目指すところは、竹田先生がおっしゃったこととまさに同じ、「貢献」なんですよ。最終的には、世のため人のために自分に何ができるのか、そこを最後の最後まで突き詰めていく。でも、あくまでスタートは、自分自身の人格を磨くことから。そうしないと、決して貢献には行き着かない。それが7つの習慣の考え方なんです。
西川
コヴィー博士は、日本的あるいは東洋的な和の精神のようなものが共通項である、というようなことも話しておられましたよね。7つの習慣でいう「Win-Win」とか「シナジー」の思想というのは、もともと日本の中にあったものなのに、それが長らく失われていて、もう一回その原点に戻ってくるのに不可欠なキーワードとして「私的成功」と「公的成功」の両立があり、そのためには個々の人格、どう生きるか、何が幸せなのか、というところを突き詰めてゆく必要がある。

竹田先生が今、全国を駆け巡って教えておられることも、基本的にはたぶんそういうことですよね。
竹田
そうですね。失われゆく日本のよさを、少しでも残していきたいなと。僕の場合、皇室が未来永劫しっかり残ってほしいというところから発しているんですけど。個人主義が極まると、皇室なんてどうでもいい存在になってしまいかねませんから、たとえば古事記のようなものを通じて、日本人のアイデンティティについて知ってもらって、それが残せるようになったらいいなと考えているんです。
竹村
そこがないと、自分が何者なのか、わからなくなってしまいますものね。

●衣食足りずとも礼節を知るのが日本人

竹村
先ほど、明治天皇の御製に勇気づけられたという西川さんのお話がありましたが、日本という国の成り立ちから考えたらそれも当然で、本来、天皇とはそういう役割を担う存在でもあるわけですよね。
竹田
ヨーロッパではそれに近い役割を貴族が担っていました。ところが、幕末、日本に着任したアメリカ外交官ハリスは、「日本人は全員、生まれながらにして貴族の器を持っている」と驚いたといいます。

彼も最初は日本人なんて野蛮人だろうと見下していたわけです。ところが、周辺の農村や漁村を視察してみると、貧しいけれど皆豊かな笑顔が絶えず、着ているものはボロながらきっちり着こなしていて、礼儀正しく、皆で協力し合いながら畑は隅々まで見事に耕作されている。この人たちはどれだけ働き者なのか、と感嘆せざるを得なかった。しかも、他人を思いやる気持ちとかボランティア精神のようなものまで皆が共有している。庶民がこれほど豊かに暮らしている場所は、世界でもおそらく例がないのでは、と書き記しています。

彼だけじゃなく、当時、日本を訪れた外国人たちは皆、同じように驚いたようですね。ヨーロッパでは、庶民は自分の生活で精一杯、ボランティアとか貢献といった意識は貴族しか持っていないもの、というのが共通の認識でしたから。
竹村
なるほど、ノブレス・オブリージュですね。
竹田
まさに、衣食足りて礼節を知る、というわけです。だから、スラム街に住んでいる人には礼儀なんかない、というのが欧米の常識で、貧困が犯罪にそのまま結びつく。一方、日本人は衣食足りずとも礼節だけは切らさない。どんなに貧乏でもそれだけは口にしてはいけないとか、やってはいけないという価値観のようなものを、皆が当たり前のように共有しているのが日本という国なんです。

僕が一番象徴的だなと思うのは、無人の野菜売り場ですね。商品が置いてあって、現金が置いてある。なのに、誰も悪さをしないなんて他の国ではありえないことでしょう。
西川
確かに日本でしか成り立たない販売スタイルですよね。
竹田
日本人というのは、貧富や階級の差に左右されることなく、庶民や貧乏人に至るまで、そういう感覚が隅々まで息づいている国民だということがいえると思います。

●公の精神を持つ日本人は、まるでキリストか仏陀のよう?

竹田
東日本大震災の映像を見たフランスの友人がすごく印象的なことを言ってくれたんです。日本の被災者全員がキリストのように見えたと。もう1人、ミャンマー人の女性も、全員が仏陀のように見えたと、同じようなことを言っていました。これってすごいことですよね。
西川
少し褒めすぎかもしれませんが、嬉しいことですね。
竹田
アメリカを例に挙げれば、ハリケーンで避難した住人がやっと戻ってきたらショッピングセンターが襲撃されていたとか、そういうケースをさんざん見てきていますから。何か困難なことが起こったとき、日本人は自分のことよりもまず、皆のために自分が何ができるかを考え始める。そういう公の精神を1人ひとりが持っている。これこそ、日本人の大きな特徴だと思うんです。
竹村
おっしゃるとおりですね。
竹田
結局、イエス・キリストや仏陀の言っていることを社会として実践してきたか否か。それが日本と諸外国の違いだと思うんです。
西川
アメリカの社会というのはある種カオスですから、混沌の中に秩序をつくらないと、砂のように崩れてしまう脆さを抱えていますよね。そうした土台の上に構築した社会であるからこそ、7つの習慣のような結晶した考え方が必要であり、また常にそういったことを言い続けなければ維持できないという事情がある。逆に、そこから私たち日本人が学ぶべき点も大いにあるような気がします。

日本人が空気として持っていたもの、でも今や社会の変化の中で失われつつあるもの。それを取り戻そうとするときに『7つの習慣』という本は、私たちの中の眠っていた細胞を生き返らせるメディアになり得る存在だと思います。
竹田
特に、7つの習慣というアメリカ人の目を通して入ってくる日本の長所というのは、非常に効くような気がします。日本人って、ペリー来航以来、西洋から言われると必要以上に聞く耳を持ってしまうところがありますから(笑)。

逆輸入じゃないですけど、そうやって欧米のほうからさまざまなメッセージを出してくれることで、日本人が気づくこともたくさんあるでしょう。そういう面でも、7つの習慣というのは非常に大きな要素になり得ますし、震災を経た今、もう1回読み直すと、また違った視点で読めるんじゃないかと思います。

●大自然に感謝する日本 vs 創造主に感謝する欧米

西川
江戸の末期、植物研究の大家だったイギリス王立植物園のロバート・フォーチュンという人が来日しているんですが、彼は、大名やお金持ちの庭が美しいだけじゃなく、貧しい長屋の借家住まい、今でいえば四畳半一間に家族で住んでいるような家であっても、皆が朝顔などの花を愛でる心を持っていることに「考えられない」と驚いているんです。当時のイギリスは産業革命で蒸気機関とか技術的な面で世界のトップに立っていたけれど、少なくとも草花を愛でる習慣を見る限り、日本の庶民の民度のほうがロンドンのそれより高いと、書いています。

盆栽なんかを見てもわかるように、自然との共生、環境問題などについて、もともと日本人の意識とか感覚というのは非常に高いものがありますからね。
竹田
日本の場合、大自然に対する価値観が欧米と全く違うんですよね、韓国や中国とも全然違うんですけど。その根底にはやはり宗教観の違いがあると思います。

たとえば、日本人にとって自然とは恵みを与えてくれる存在で、大自然に神の姿を見ている。一方、キリスト教的な世界観では、「神は自らの姿に似せて人を創った。そして人に大自然の管理を委任した」と聖書にありますから、人間というのは神に代わって大自然を管理する役割を与えられている存在なわけです。

日本人は食材に対しても感謝をしますよね。「いただきます」というのは、「魚さん、動物さん、申しわけないけどあなたの命をいただきます。その代わり、私はあと1日生き永らえさせていただきます、ありがとう」ということですし。

逆にキリスト教のほうは、「君たちは私に食べられるために生まれてきたわけで、食べてあげるから感謝しなさい」というスタンスですから(笑)。欧米人の場合、感謝するとしたら、食材ではなくて、宇宙の外にいる神に対して感謝します。神が人間を創ってくださったこと、そして大自然の管理を委任してくださったことへの感謝ですね。神を差し置いてモノに感謝を捧げたりしたら、それは創造主である絶対神への冒涜になってしまう。
竹村
最初の部分がこれだけ違えば、気質とか価値観だって相当違ってきますよね。
西川
日本人は大自然の恵みをいただいて、生かされている立場なので、自然に対しても、当然、腰が低いわけです。和を大切にして、皆で協力体制を敷いて、ありがとう、ありがとうと、天地の神に感謝をする。欧米の場合は、まず自分が何をするかが重要ですから、パワフルでちょっと強引になる。女性的、男性的な違いともいえるでしょうか。大自然をどう捉えるかによって、ここまで差が出るんですね。

●価値観の輸入⇒逆輸入⇒そして双方向発信へ

竹田
でも、日本的価値観とキリスト教的価値観って、解釈によっては融合できると思いますよ。一見、水と油のように見えますが、キリスト教的世界観を壊さずに、日本的価値観を持ち込むことは可能なんじゃないかと。

神は自らの姿に似せて人間を創った、そして人間に大自然の管理を委任した。そのとき人間は「神に代わって大自然を統率する」のではなく、「神様の命令をいただいたので大自然を管理させていただく」という立場をとることにすれば、それだけでいいように思うんです。

神から役割をいただいた自分らは大自然より偉い、という上から目線ではなく、むしろ下から「大自然がうまく機能するように、人間ごときで申し訳ないのですが、何かお手伝いができればということで、うまく調和がとれるように統制させていただきますね」と。そうすれば、大自然の恵みに感謝をしたからといって、別に神との関係が絶たれることにはならないんじゃないかと思うんです。

たとえば、初日の出に手を合わせる、拝む。日本人にとっては当たり前のことなのに、欧米にはない感覚なんですね。同じ東洋の中国や韓国でもあり得ないことのようですが。私たち日本人は、太陽をただの天体ではなく霊的なものとして見ているからこそ、拝むという発想が自然に出てくる。しかし、それらも神が創り出したものであるならば、そこに価値があって尊いものだと思ったり、慈しむ気持ちを持ってもいいはずですよね。
西川
マザーネイチャーとか英語でもいいますし、欧米人にもその感覚が全く理解できないわけではないように思いますけどね。「ユビキタス」という言葉もネットなどでよく使われますが、本来は「神はあまねく存在する」という意味ですから、いわば八百万の神の考え方に近いのかもしれませんし。

欧米人にとっては木の葉がこすれあう音や虫の鳴き声はノイズでしかないそうですが、日本人はそれを美しいと感じる感性を持っている。自然と同じ目線で生きているといいますか、日本人のそういう特異な部分が、7つの習慣を通して世界中のさまざまな価値観をつないでいくことに貢献できるかもしれないですよね。
竹田
本当にそうですね。そういったものすべてが、たぶん、和の精神というところに行き着くように思うんですが、和の精神って慈しみの気持ちだと思うんです。他者に対してもそうだし、大自然に対してもそうだし。いろいろなものを尊重するからこそ、自分のことも尊重できる。だから調和をとろうとするし、皆のために何ができるかを考える。それが日本人であり、和の精神なんです。

コヴィー博士が、本来であれば7つの習慣は東洋から出るべきだったとおっしゃっていたという話がありましたが、そこに僕のほうで1つ付け加えさせていただけるならば、日本オリジナルの発想として、大自然に感謝するという要素をぜひ、お願いしたいですね。せっかく7つの習慣がこれだけ日本に根付いてきたわけですから、これからは双方向で、こういう和のエッセンスを7つの習慣を通じて、日本から世界に発信していただけたらありがたいことだと思います。
西川
竹田先生でなければお考えいただけない、非常に重要な視点を教えていただきました。今日もまた元気をいただきました。ありがとうございます。
竹村
貴重なお話の数々、たいへん勉強になりました。ありがとうございました。

※本稿は「7Habits.jp」に掲載した記事をアレンジしたものです。