セミナー開催前に読む The Empowerment 対談|ボイスを発見して影響力を発揮する|井上和幸 株式会社 経営JP 代表取締役社長・CEO × 竹村富士徳 フランクリン・コヴィー・ジャパン株式会社 取締役副社長

第1回 ボイスを発見する

●リーダーたるもの、志高くあれ

竹村
井上さんは、8,000人以上のリーダー層の方々と直接お会いになって、人材紹介を中心にさまざまな支援をされておいでですが、あるべきリーダー像というものをどのようにお考えですか。
井上
僕は、経営者やリーダーという言葉の前に「志高き」という枕詞をつけることにこだわっています。先頭に立って世の中をよくしていこう、会社をよくしよう、と思っているような人たちにこそ、経営者やリーダーの座にふさわしいと思っていますし、そうでないとその組織がハッピーになりませんから。その部分のフィルタリングについては、当社としてもかなりこだわっています。誰だって志の低い経営者の下で働くのっていやだと思います。

竹村
井上さんがおっしゃる志というのは、おそらく『7つの習慣』における人格主義や、『第8の習慣』におけるボイスに関わってくるものではないでしょうか。
井上
そのとおりです。その志の高さにもいろいろな方向性がありますから、必ずしもエベレストや富士山じゃなきゃだめとは思いません。あくまで、「今、僕たちはこの山を登ろうよ」ということでいいと思います。
竹村
3.11の東日本大震災以降、変わらないもの、本当に大切なものを求める気持ちが、私たち日本人の中に高まっているのを感じます。戦後からこっち、物質主義、拝金主義、さまざまな変遷を経て、今また、人としての力、人格というものに私たちの気持ちが向いているように思われてなりません。

そして、成功へのバイブルと思われがちな『7つの習慣』ではありますが、実はメインのテーマは「人格主義の回復」です。この本が伝えるメッセージには、今、この激流の時代を生きる皆さんにとって、非常に大きな意味があると思っていまして、年を重ねるごと、年を追うごとに、その思いは増すばかりです。
井上
20代の半ばに「7つの習慣」の二日間研修を受けた記憶があるのですが、すごいインパクトを受けました。未だにそれがベースラインになって支えていただいている部分がかなりあると思っています。
竹村
井上さんにとって「7つの習慣」との出会いは意味のあるもので、その影響力が今なお持続しているわけですか。とても光栄なことだと思います。

●インターフェースとしての「7つの習慣」

竹村
「7つの習慣」は、研修業界の中ではよくOSにたとえられますし、実際に私どものほうからもそのようにお話しさせていただくことがありました。ところがですね、『ビジョナリー・カンパニー2』のジム・コリンズが、興味深い指摘をしているんですよ。本国アメリカのほうで『7つの習慣』刊行25周年のアニバーサリーがありまして、日本でも通常版に付録などを足した記念版を出しました。この記念版にジム・コリンズが前文を寄せてくれたのですが、そこで彼は、「7つの習慣」について、OSというよりむしろインターフェースだと書いています。

Windowsや Macが果たした貢献というのは、使いやすいインターフェースを通して、従来は特定の専門家しか使えなかったマイクロチップの力を引き出した点にあると思うのですが、ジム・コリンズによれば「7つの習慣」もそうだというわけです。



なるほど、と思いました。「7つの習慣」の素晴らしいところは、すべてのエッセンスが「7つの習慣」というインターフェースにまとまっているということだと常々自負してきたものですから。そこは他のどんな優れたコンテンツにもない特長だと思うのです。
井上
ジム・コリンズのその文章、僕も読みました。「7つの習慣」シリーズの愛読者ですから(笑)。読んだとき、ああ、と思いました。素晴らしい本や哲学は古今東西たくさんあるのですが、一つの体系としてインストールされているというのが、やはり「7つの習慣」の大きなバリューだと思います。武器としてすごく強いものがある。
竹村
井上さんの支援されているリーダーの皆さんが個々にお持ちのチップの力、たとえば可能性だったり偉大さだったり、そういったものを最大限に引き出していく際のインターフェースとして、ぜひ「7つの習慣」をお役立ていただけたらと思います。
井上
リーダーの方々には「7つの習慣」を全部、しっかり身につけてほしいと思っています。
竹村
コヴィー博士は「使い続けられて習慣となって、ようやくその人の人格に影響を及ぼしていく」と、ずっと語り続けていました。その意味でも、インターフェースというのはすごく重要です。どんなに優れたものだとしても、使わなければ意味がありませんから。
井上
ええ、どんどん普及させていきましょう!

●激流を生き抜くためのmust-will- can

竹村
さて、この先行き不透明な激流の時代、私たちはいったいどのようにやっていくべきなのでしょうか。めまぐるしい変化に対応し続けなければならないからこそ、ミッションとか価値観といった「変わらない軸」を持たなければ生き残れないように思うのですが。
井上
数年前と比べても、より先の読めなさ感みたいなものが強まっている気がします。こういう状況の中で、自分の組織をどう活性化していったらいいのか、特に経営者の方々のストレスが高まっているように感じています。専門力や経営力と並んで、人間力というものが今改めて非常に問われている。そして、それを痛感し、それゆえに悩んでいる経営者の方々がすごく増えている印象があります。
竹村
そうした雰囲気は、私のほうでもひしひしと感じます。
井上
もはや、終着点まで船に乗せていってもらえる保証のない時代になりましたから。よかれと思って「こっちのボートに乗りなさい」と言ってくれた上の人が、そのボートの安全性を10年単位で保証できるかというと、翌年にはもう事情がガラッと変わってしまったりする。そういう事態が頻繁に起こっています。

つまり、上からのサジェスチョンに反応的に乗ってしまうことすら、リスクになる時代になってしまった。誰かに安全な道を保証してもらうことは不可能で、自分自身でどちらに行きたいかを決めるしかありません。

逆に考えれば、個々の主体性の発揮しどころでもあって、その部分をしっかりやることが、今のリーダーには求められているように思います。昭和と平成のリーダー像の大きな違いが、この部分に象徴されているような気がします。
竹村
リーダーのキャリアの在り方として、一般的なフレームでは、mustとwillとcanが不可欠だとされていますが、井上さんが今おっしゃったのは、willにあたる部分ですね。激流ですべての先が見えない中では、mustが非常に期待されています。canについても、会社がさまざまな機会を与えてくれる中、自分自身でいろいろな能力を培う努力をしていかなければなりません。mustとwillとcan、リーダーにはもちろんどれも必要ですが、すべての局面において自ら選択していく必要があるという意味で、やはりwillが最も強く求められているような気がします。ただ、リーダーにしてみたら、本当に過酷な状況ですね。
井上
そうですね。
竹村
ここを耐え抜くために、というわけでもないのですが、コヴィー博士は、一つのキーワードとして「貢献」という言葉を使っています。すなわち、「自分がどうありたいか」を自ら理解するには、「自分がどのような貢献をしていきたいか」を知る必要があると。まさにwillの部分です。

●find your voice、あなたのボイスを見つけなさい

井上
今、竹村さんがおっしゃってくださったのは、ボイスのことですね。僕もこのボイスという部分に光を当てたいと思っていました。
竹村
ボイスについては『第8の習慣』の中で詳しく語られていますが、心の奥底から自分を強くせき立てる内なる叫び、それがボイスです。

それがボイスかどうかを判断するポイントとして、まず、世の中がそれを「必要」としているか。自分にそれを成し遂げるだけの「能力」があるか。何があってもやり遂げようとする「情熱」があるか。そして、最後がいかにもコヴィー博士らしいのですが、それは「良心」に則ったものなのか。それらすべてに曇りなくyesといえるものであれば、ボイスと呼んでいいのではないかと思います。
井上
経営者層・リーダー層の人材紹介、エグゼクティブサーチという僕の仕事を例にしますと、ある方に会社の部門なり会社そのものなりをお任せしようと思うとき、その決め手になるものっていったい何なのかといったら、その方のボイスなんです。「この人は本当にこれをやり遂げたいと思っている」ということが見えない人に、組織を預けようと決断するのはなかなか難しい。
竹村
いったい自分にどんな貢献ができるのか、ニーズや能力や情熱、そして良心といったものに照らし合わせつつ、考え抜き、そして実行していくには、まず自らのボイスを知らなければなりません。その起点が、find your voice、あなたのボイスを見つけなさい、ということになるわけですが、まずは、そのスタート地点に立てるかどうか。すべての始まりは、きっとそんなところにあるのではないかと思います。
井上
社長になりたい、経営者になりたい、という人はたくさんいます。地位とか名誉とかお金とか、そういったものも含めて、よい社会人ライフを送りたいと思うのは普通のことですし、僕も否定はしません。

ただ、社長になって何をやるのかということを抽象的にしか捉えてない人をその位置に就けると、後がキツイのです。何かしんどいことがあると僕のところに逃げてきて、「しょうもないオーナーが」「だめな部下たちが」「こんな会社はやってられないから次のところを紹介して」なんて言い出す。そんな人に次のところを紹介したくありません。次のところに行っても、たぶん同じように敵前逃亡するだけでしょうから。
竹村
結局、その人自身の信頼性の問題ですね。コヴィー博士は、人格×能力=信頼性という言い方をしましたが、息子のM・R・コヴィーは自著『スピード・トラスト』の中で、これを見事に因数分解してみせました。彼は、能力は力量と結果、人格は意図と誠実さ、それぞれ二つの要素から成ると説明しています。

中でも「意図」の部分が重要で、「何のためにそれをやっているのか」。要はその人の価値観とか軸に置いているものの問題になる。利己的な意図によるものか、利他的な意図によるものか。ここはボイスにも大きく関わってくる部分です。

それらのすべてが、その人の言動の元になってきますから、何らかのチャレンジをした際にどんな反応をするかということは、どういう意図をもってそれに臨んだかということに全部かかってきます。それが個人の信頼性というものであり、信頼性はその人自身から離れることはありませんから、いくら場所や環境を変えたとしても、結局、同じことを繰り返すだけです。
井上
一事が万事ですよね。ちょっとしたことがいいかげんな人というのは、大局的なこともいいかげんなことが多い。結局、その人のスタイル全般に何か通ずるものがあるように思います。その辺りの一貫性については、多くの人や組織を見てきて、常に痛感させられるところでもあります。

●選択の自由によって広がる可能性

竹村
コヴィー博士は『7つの習慣』の中で、「すべての行動の前に思考があって、その思考の前にパラダイムがあって、このパラダイムと人格は切り離して考えることができない」と、述べています。

リーダーとして何を果たしてきたのかという以前に、小さな部分で垣間見られるパラダイムそのものが、その人の人格を物語っているということですね。
井上
少し前までは、限られた情報しか手に入らない閉鎖的な環境下で、ベストではないかもしれないけれどベターな状態の中でうまくやる、という方法論だったと思います。しかし、今や、あらゆるものが最適化された状態で手に入り、その中でベストを探究することができるようになりました。

選択の自由というか、一人ひとりが一番好ましいと思う道を選ぶことができるようになって、今後もこの状況はどんどん加速していくと思うのです。となると、この点において、リーダーたちは新たな刃を突きつけられている、という言い方ができるかもしれません。

竹村
なるほど。個々のボイスを引き出し、実現させていけるよう促すのがリーダーの役割であるとするなら、おっしゃるとおり、ますますリーダーの立場は過酷なものになっていくでしょうね。

コヴィー博士は、この激流の時代にあって、だからこそ変わらないものが三つあると話していました。一つが「変化」。今後も変わり続ける状況は変わらないということです。二つめが「原則」。原則は変わらないからこそ原則なわけです。そして三つめが、今、井上さんがおっしゃった「選択の自由」です。

ことさらそこを意識しなくても、それなりにキャリアを積むことができて、安定した生活が送れた時代には、選択の自由というものの出番があまりなかったのかもしれません。ところが、今や選択の自由の幅がかつてないほど広がり、誰もがそれを行使できるようになった結果、個人が一企業を滅ぼしかねない力を持つまでに至りました。インターネットがない時代には考えられなかった事態です。
井上
情報が全部オープンになってしまって、昔なら揉み消せたかもしれないことも一気に広まりますからね。だからこそ、筋論として正しいことをしっかりやっていく必要があると思います。って、ごく当たり前のことですが(笑)。
竹村
あらゆる選択ができるようになったからこそ、自分自身のボイスに従いながら、個としての責任感を持ちながら、良心をもってやっていくことが大切になりますね。
井上
それだけ個人が力を持てるようになって、いい形で皆が力を持ち寄り、それぞれに成長しながら貢献していけるということですから、僕はいい状況になりつつあると捉えています。

影響力を発揮するリーダーの原則:The Empowerment|10月31日(金)