週刊「7つの週刊」日本元気化計画 元気には原則があった!
日本古来の和の精神を大切にしよう!慶應義塾大学講師 竹田恒泰氏

「本来の日本人・日本文化がもっている良さは決して失われてはいない」と語る竹田恒泰氏に、どうしたら日本が元気になるかお話しいただきました。

竹田恒泰(たけだ・つねやす)

作家。1975年 東京都生まれ。慶應義塾大学法学部卒業。旧皇族・竹田家に生まれ、明治天皇の玄孫に当たる。憲法学・史学の研究に従事、皇室、日本史、環境問題関連の執筆や発言を行っている。2006年に著書『語られなかった皇族たちの真実』(小学館)で山本七平賞を受賞。その他の著書に『エコマインド~環境の教科書』(ベストブック)、『皇室へのソボクなギモン』(扶桑社、共著)、『旧皇族が語る天皇の日本史』(PHP新書)などがある。財団法人ロングステイ財団専務理事、NPO法人あきらめない名誉会長、慶應義塾大学非常勤講師(憲法学)。竹の間―竹田恒泰のホームページ

●個人が尊重され、自分らしく暮らせる日本

 日本は太古の昔から、国民一人ひとりが、自由に、自分らしく、豊かに暮らせるにはどうしたらいいかをずっと模索してきた国です。個人個人が尊重され、自分らしく暮らせるというのが、2000年前からの日本という国家のビジョンでした。
 良い点も悪い点も含めて、こういう歴史があったということを若い人たちが知るだけでも、日本人に生まれてよかったと思えるようになると思います。まず、今の若い人は建国の経緯を知りません。もちろん、誰が建国したかとか、一応の成り立ちは歴史の教科書に書いてありますが、日本は素晴らしいと思えるような記述は消されています。
 ですから、自分の祖国の歴史を学ぶことほどワクワクドキドキすることはないはずなのに、日本の歴史を勉強していても面白くない。しかし、東日本大震災の後、日本人が日本のことを学び直そうというブームが、戦後、初めて起きました。ようやく日本人が誇りを取り戻せる環境になりつつあると思います。

●他者への貢献が、日本人の幸福

 日本人の幸福感は、自分がどうなるかということよりも、他者に何を与えられるかが優先されます。ですから、他者のために生きる、というのが美しい生き方とされてきました。それが封建的でつまらない考え方のように扱われていたところに、東日本大震災が起きて、目に見えないつながりを大切にするという、日本人の絆が再び見直されつつあります。
 日本人の考え方は、社会全体、民族の発想が先にあり、自分のことを考えるのは後回しなのです。他人のために何ができるか、それがすなわち自分の幸せであるということです。ただ、やみくもに他者を優先するわけではなく、さまざまな役割を認識しながら、自分は家族のために何ができるか、最後は国のために何ができるかを考えます。
 つまり、日本人は「7つの習慣」の「Win−Winを考える」という発想を持っているはずなのです。また、自分が変わる(インサイド・アウト)ことによって周りに影響力を強めることもできます。そういうことを含めて、いろいろな次元で一人ひとりが自分らしく振る舞ってきた結果が日本の歴史であると捉えたとき、「7つの習慣」がこれだけ普遍的に求められ理解されているという事実と通じるものがあると思うのです。

●衣食足りずとも礼節を知るのが日本人

 幕末、日本に着任したアメリカ外交官ハリスは、「日本人は全員、生まれながらにして貴族の器を持っている」と驚いたと言います。周辺の農村や漁村を視察してみると、貧しいけれど皆豊かな笑顔が絶えず、着ているものはボロながらきっちり着こなしていて、礼儀正しく、皆で協力し合いながら畑は隅々まで見事に耕作されていたからです。
 しかも、他人を思いやる気持ちとかボランティア精神のようなものまで皆が共有しています。庶民がこれほど豊かに暮らしている場所は、世界でもおそらく例がないのでは、と書き記しています。彼だけではなく、当時、日本を訪れた外国人たちは皆、同じように驚いたようです。
 ヨーロッパでは、庶民は自分の生活で精一杯、ボランティアとか貢献といった意識は貴族しか持っていないもの、というのが共通の認識だったからです。まさに、衣食足りて礼節を知る、というわけです。ですから、スラム街に住んでいる人には礼儀などない、というのが欧米の常識で、貧困が犯罪にそのまま結びついています。
 一方、日本人は衣食足りずとも礼節だけは切らさない。どんなに貧乏でもそれだけは口にしてはいけないとか、やってはいけないという価値観を、皆が当たり前のように共有しているのが日本という国なのです。僕が一番象徴的だと思うのは、無人の野菜売り場です。商品があり現金が置いてあるにも関わらず、誰も悪さをしないのは他の国ではありえないことでしょう。

●日本的価値観とキリスト教的価値観の融合

 欧米からさまざまなメッセージを出してくれることで、日本人が気づくこともたくさんあります。そうした面でも、「7つの習慣」は大きな要素になり得ますし、震災を経た今、再度読み直すと、また違った視点で読めると思います。
 日本的価値観とキリスト教的価値観は、解釈によっては融合できると考えています。一見、水と油のように見えますが、キリスト教的世界観を壊さずに、日本的価値観を持ち込むことは可能だと思います。
 神は自らの姿に似せて人間を創り、そして人間に大自然の管理を委任した。そのとき人間は「神に代わって大自然を統率する」のではなく、「神様の命令をいただいたので大自然を管理させていただく」という立場をとればいいわけです。
 神から役割をいただいた自分達は大自然より偉い、という上から目線ではなく、むしろ下から「大自然がうまく機能するように、人間ごときで申し訳ないのですが、何かお手伝いしてうまく調和がとれるように統制させていただきます」となれば、大自然の恵みに感謝したからといって、別に神との関係が絶たれることはないと思うのです。
 たとえば、初日の出に手を合わせる、拝む。日本人にとっては当たり前のことですが、欧米にはない感覚です。同じ東洋の中国や韓国でもあり得ないようです。私たち日本人は、太陽をただの天体ではなく霊的なものとして見ているからこそ、拝むという発想が自然に出てくる。しかし、それらも神が創り出したものであるならば、そこに価値があって尊いものだと思ったり、慈しむ気持ちを持ってもいいはずです。

●和の精神で元気になる

 和の精神は慈しみの気持ちです。他者に対しても、大自然に対してもそうです。いろいろなものを尊重するからこそ、自分のことも尊重できる。だから調和をとろうとするし、皆のために何ができるかを考える。それが日本人であり、和の精神です。和の精神で日本人が元気になれば、日本も元気になると思うのです。
 コヴィー博士が、本来であれば「7つの習慣」は東洋から出るべきだったと言われましたが、一つ付け加えさせていただけるならば、日本オリジナルの発想として、大自然に感謝するという要素をぜひ追加していただければと考えています。
 せっかく「7つの習慣」がこれだけ日本に根付いてきたわけですから、これからは双方向で、こういう和のエッセンスを「7つの習慣」を通じて、日本から世界に発信していければいいと思います。(談)

※本稿は「7Habits.jp」に掲載した記事を再編集したものです。