氏名

中納淳裕

住所

茨城県つくば市

部門

「あなたの好きな7つの習慣」部門

私は15年間『七つの習慣』を愛読している。何か困難と出会ったときに読み直すときに必ず助けとなる答えをこの本から得てきた。5年前にロシアサハリン州で2年間、現地の学校でロシア人学生相手に日本語教師として派遣された時の話。私はロシア人日本語教師のアシスタントとしての派遣だったのでロシア語ができなくても採用された。しかし、赴任したその日に、ロシア人日本語教師は「後任ができた」と喜び、石油・ガス開発の日本語通訳として転職。私は一人でロシア語がわからないまま、小学2年生から高校2年生までの日本語がわからない学生に教えることになった。初めての授業はお互いに何を話しているか解らず、大混乱のまま修了。ロシアの学校は11年制。どの学年でも全く授業にならない。アシスタントとしての契約なので校長に抗議しようとしたが、ロシア語が話せないのでそれもできなかった。

 私は、困った時にも主体性を発揮することを『7つの習慣』から学んでいた。学校から帰宅してこれからの事を考えている時に、第4の習慣を使ったアイディアを思いつく。家の近所に残留日本人協会事務所があり、着任してすぐに挨拶に顔を出していた。そこで残留日系一世のおばあちゃんたちが、「孫たちは日本語が片言しかしゃべれない。私らは今でも、ロシア語が下手。孫達が日本語を勉強してほしい」と話していたことを思い出し、もう夜だったが、まだ開いていた事務所に飛び込んだ。「明日の夜から、片言でも日本語を知っている日系3世や日本語学習経験者対象の中級者向け無料日本語教室をここで開催させてください。」と事務局長に頼み、快諾を得た。翌日、事務所に入りきらないほどの日本語学習者が集まった。当時、石油・ガス開発設備建設のため日系企業が多数進出しており、日本語通訳を目指す者など日本語学習熱が高かったので、集まった学生の顔ぶれは、日系3世の他、観光ガイド、旅行代理店支店長、中古日本車販売会社社長、国立大学日本語専攻の学生など幅広いものとなった。そこで私は翌日の勤務校での日本語授業について準備することができるようになる。例えば翌日学校で形容詞について教える日は夜の日本語教室で日本語がある程度できる人たちに、大きな風船を見せながら「この風船は大きい。「大きい」はロシア語で何といいますか。バリショイ?もう一度ロシア語で言ってください、バリショイ!私の発音でわかりますか?」というように、翌日の学校で教える日本語のテーマや単語を夜の教室で扱って翌日授業で扱う日本語をロシア語での意味を学習できた。こうすることで教えながらロシア語を学ぶことを習慣とした。翌週、学校で生徒達はいきなり、授業の中でロシア語を話し出した私に驚き、その努力を認めてくれた。そればかりではなく、目の前でどんどん外国語を使えるようになる姿を見て、彼らの日本語に対する学習意欲が増し、5年たっても挨拶と自己紹介しかできなかった中学生達が、サハリンの日本語コンクールで1位から5位までを私のクラスの生徒達が独占するなど、授業についての手応えを感じていた。

 この経験は、残留日本人会に対しては子孫への日本語教育とロシア社会に対する組織の貢献、ロシア人日本語学習者にとっては、日本語教授法を会得した教師から受ける無料の学習機会、私にとっては、みんなに感謝されながら、ある程度日本語が解る人たちから仕事ですぐに使えるロシア語を学ぶ最高の機会となった。三者にとって第4の習慣の「winーwinを考える」を実践する場面となった。この夜の教室は私が帰国する直前まで継続し、多くの友人ができ、ロシア語だけではなく、ロシア社会への順応のために様々な助けをそこで出会った人々から受けることとなった。

 赴任早々に第1の習慣を使って主体的に行動し、第4の習慣の相乗効果を発揮することで私のロシア生活は公私ともに充実したものになり、最優秀外国語教師表彰をユジノサハリンスク市教育委員会から受け、帰国前夜には国営放送のローカル版夕方のニュースで一時間毎、4回トップニュースとして帰国することが放送された。着任当初の混乱していた日に、『七つの習慣』を実践して、考えて行動できたたった1つの行動が私を救ってくれた。原則に従って行動することは、言葉や文化の違いを超えて生きる力として大切だ。私は現在、中学教師として、原則に従って生きることの大切さを生徒に教えていきたいと強く思う。