第3の案
36/41

36第3の案このようなジレンマにぶつかると、二者択一思考の人の危うさがよくわかる。降参してしまう人もいれば、ジレンマの一方の「角」に飛びつき、傷口から血を流しているというのに、自分の選択は正しいと言い張り、他の人たち全員を巻き込み引きずっていく人もいる。あるいは、そうしなければならないと思い込み、死という角を選ぶ人もいるだろう。このような人たちには第3の案が見えていないのである。「間違った」ジレンマに陥っていても、たいていは気づかない。しかし残念なことに、ほとんどすべてのジレンマは「間違い」なのである。ジレンマはどこにでもある。世論調査はこんなふうに質問する。「あなたが賛成するのは共和党の政策ですか、民主党の政策ですか? ドラッグの合法化に賛成ですか、反対ですか? 動物実験は正しいですか、間違っていますか? あなたは私たちを支持しますか、不支持ですか?」 このような質問では、二者択一以外に答えようがない。二者択一でしか考えない人は別だが、普通はジレンマの両極の間に多くの選択肢がある。私たちは、「より良い」答え―第3の案―があるかと自問することは滅多にない。大いなる中間層二者択一思考に対する一つの反応は、期待するのをやめるという無気力な態度である。どんな「論争」でも、どちらの側にもつかない「大いなる中間層」がある。彼らはチームワークと協力を大切にし、「相手の視点も考慮」する。しかし第3の案があるとは思っていない。上司との対立、不幸な結婚生活、訴訟、イスラエルとパレスチナの紛争、これらに現実の「解決策」があるとは少しも思っていないのだ。彼らの口ぶりはこうである。「我々はいっしょにはやっていけない。性格が合わない。解決策はないんだよ」

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer9以上が必要です