第3の案
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30第3の案皮肉なことですが、人種差別と偏見がなかったなら、ガンジーはこれほどまで注目されていなかったでしょう。それは挑戦であり、対立でした。祖父は大金を稼ぐ有能な弁護士の一人で終わっていたかもしれません。しかし南アフリカに渡った時、到着してから一週間も経たずに、人種差別を受け、屈辱を味わいます。有色人種という理由で列車から降ろされたのです。あまりの屈辱に駅のプラットフォームで一晩過ごし、正義を勝ち取るために何ができるかと考えていたそうです。祖父の最初の反応は怒りでした。あまりにも腹が立ち、「目には目を」の正義を望みました。自分を侮辱した人々に暴力で仕返ししたいと思いました。しかしそこではたと気づいたのです。「これは正しいことではない。このやり方では正義を勝ち取ることはできない。しばらくは溜飲の下がる思いがするかもしれないが、正義は得られない。対立のサイクルが続くだけだ」と。その時から、祖父は非暴力の哲学を育て、みずからの人生と南アフリカでの正義の追求に非暴力を実践しました。結局、祖父は南アフリカに二二年間滞在したのち、インドに帰国し運動を率いたのです。運動はインドの独立につながりました。だれも予想しなかった結果となったのです。*4ガンジーは私にとっての英雄の一人である。完全な人間ではないし、目標を全部達成したわけでもない。しかし彼は自分のなかにあるシナジーを知り、二者択一の考え方を超えて、創造的非暴力という第3の案を生み出したのである。逃げようとせず、かといって闘いもしなかった。どちらも動物のすることである。追い詰められた動物は、闘うか逃げるかしかない。二者択一思考の人にとっても、闘うか、逃げるか、二つに一つなのである。ガンジーはシナジーによって、三億人余の人生を変えた。現在、インドの人口は一〇億人を超える。主体的に生きる人々のエネルギー、経済力、精神的なたくましさを感じ取ることのできる素晴らしい国である。

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